大震災にあった〜情報難民にならないように

忘れないうちに、停電になる前に書き留めておきます。

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私は、3月11日の地震の時には、出張で、仙台市内にあるビル内で会議をしていた。地震は、飛行機の離着陸時の衝撃が長く続いた感じだった。

会議室だったため、何も無い部屋で幸いだった。とりあえず机に潜った。

会議はその場で中止となった。部屋の外に出ても、頑丈なビルだったようで、なにも変わらない様だった。階段で1階に降りた。

1階では、天井から水が吹き出していた。

非常口から外に出ると、ビルの外壁のタイルが崩れていた。周りのマンションやビルも煙が出たり、壁が崩れたりしていた。

我々は9人で会議に参加していたが全員無事だった。2人は会社の仙台支社、私を含む残りの7人は宮城野区扇町にある関連企業の工場に向かった。その時はラインが動くだろうという軽い気持ちだった。

とりあえずタクシーに乗ろうとしても全くつかまらない。仙台駅のバスターミナルまで歩いた。ところどころ壁やガラス、樹の枝が落ちていた。バスターミナルは人で溢れていた。タクシー乗り場にはすでに人が沢山並んでいた。

諦めて、徒歩で向かいだした。途中、大学の卒業式をやっていたホールの前で立ち尽くす卒業生や、集団下校する小学生を目にした。

雪が降りだしたので、コートについていたフードをかぶった。途中、奇跡的にやっていたコンビニに寄って、飲み物とカイロを買った。

さらに進むと大きな病院があった。タクシーがいるかもと気楽に立ち寄ったが、すでに野戦病院のような感じだった。

さらに歩いて、どこかの大通りに出た。そこでタクシーがつかまり、工場まで向かった。タクシーの中で会社からの安否確認システムからのメールを見た。それで、東京でも大きな地震だったことがわかった。このとき、おそらく16時位だったかと思う。後に備え、iPhoneとドコモ(ガラケー)の液晶の明度を最低にした。iモードの災害掲示板にも登録した。これは、ファミリー割引の全員に、登録を知らせるメールが同報される仕組みのようだ。横浜の妻からも登録があったことがメールで知らされた。

タクシーのラジオではタクシーの様子についてレポートされていた。駅まで行く前にタクシーが捕まえられてしまうので、駅にはタクシーが届いていないとのことだった。

工場に着いて、すぐにラインが動かないというのは明らかだった。何も出来なかった。

とりあえず、近くのコンビニに向かった。中はぐちゃぐちゃだったが、スナック菓子や飲み物、コップ、濡れティッシュを買った。袋3つくらい。電池は単3以下の小さいものやボタン電池しかなかったため買わなかった。

我々は工場の支援に向かったつもりだったが、結局は我々が助けられることになった。自宅から持ってきていただいた食料を頂いたり、毛布を貸していただいた。

スナック菓子で多少お腹を満たしたあと、本社との連絡をとるため、様々な手段を試した。20時ころだったと思う。ドコモは電波3本中3本。softbankは5本中1本、auは圏外、emobileは電波3本中3本だった。emobile(PocketWiFi)経由でiPhoneから連絡を取り始めた。また、地震の安否を知らせるためにfacebookとtwitterに投稿をした。皆さんから、励ましのご連絡を頂いた。ありがとうございました。また、skypeで、実家の兄と話しをした。通じたが、すぐに切れた。

iPhoneの電池がなくなる頃、softbankは圏外になった。22時くらいだったかと思う。会社の方がiPhoneのケーブルを持っていたので、iPhoneの電源を切ったあと、自分のMacBookでUSB経由で充電した。バッテリーが持ったのは1時間程度で、50%程度まで復活した。また、PocketWiFiもUSBケーブルがあり、こちらもUSBで充電を開始した。

23時ころ、emobileも圏外になった。推測だが、softbankもemobileも付近の基地局の自家発電や充電池がなくなったのだろう。電波の復活に備え、iPhoneとPocketWiFiの電源を切った。

ドコモも電池が無くなりそうになった。工場の事務所内にあるノートパソコンを付けると、生きていた。これもまた、USB経由で充電できるものがあったので、わずかではあったが充電できた。ドコモで会社に連絡したあと、電池を持たせるため電源を切り、30分おきに確認することにした。

工場内に、災害時優先固定電話があることがわかった。これで連絡を取り始めた。家族や会社に連絡した。少し安心した。

工場の方で、車の中にドコモの充電ケーブルをお持ちの方がいたので、拝借することにした。あまり長くやるとガソリンがもたないので、少しだけさせてもらった。

周りが完全に停電なので、皮肉なことに、とても星が綺麗だった。

毛布を借りたがやっぱり寒いので、ワイシャツと下着の間、お腹と背中に新聞を一部づつ入れた。これがとても暖かい。ウイスキーを少し貰って、ラジオを聞きながら2〜3時間寝た。

寝る前にドコモを確認したが、圏外になっていた。

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次の日、工場設備のメーカーの方が来てある程度調査をしてもらった。建家には問題がないが、設備は完全に動かないだろうし、なんせ電気が来ないととにかくわからないとのこと。

向かいにあるガソリンスタンドが動き出した。車の行列はみるみる伸びて、2時間並んで10リットルが限度だったようだ。

工場の大便器はすでに他の人が使っていたようで、排泄物がそのまま放置されていた。それで近所の避難所に行った。が、それどころではなかった。

12時ころ、もう一度ドコモを確認すると、電波は戻っていた。他のキャリアは駄目だった。

戻ると支社に行っていた上司が来ていた。工場の方々に迷惑がかかるので、7人のうち3名が支社に移った。私と他3人は残った。

屋上の貯水槽(地下水)にまだ水があることがわかった。貯水槽直結の蛇口からバケツリレーでトイレまで水を運び、トイレのタンクの蓋を開け、水をいっぱいに入れ、何度か流した。詰まったのでスッポン?を使って、なんとかトイレを使えるようにした。

夕方ころ、auも電波が通じるようになった。ただ、災害時優先固定電話は繋がらなくなっていた。

工場の方が街中から買出しをして下さり、なんとかカップラーメンにありつけた。本当にありがたかった。

22時ころ、原発が万が一の事を考え、退避命令が会社から届いた。それに伴い、支社に全員集まれとのことで、工場の方に送っていただいた。ガソリンがもったいないにもかかわらずだ。感謝しかない。しかも、退避は我々だけ。複雑な心境だった。

市内に戻って、奇跡的にホテルがとれた。そのころ仙台市内はある程度復電していたので、電気は付くが、お湯は出ない。

携帯関連は仙台の中心では全て通じていた。ただし、やはり音声通話はあまり通じなかった。自宅の固定電話への通話はできた。

今までの情報源はラジオだけだったが、テレビを見て言葉を失った。ベッドに横になったが、あまり寝られなかった。

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日曜日、朝から行動を開始した。山形空港が24時間化されたようだったが、飛行機は乗れないと判断した。上越新幹線に乗るため、新潟まで行くことにした。山形から新潟向けの高速バスがあるとのことで、とりあえずタクシーで山形まで行くことにした。つかまらない。つかまっても、ガスが無いからダメと断られた。それでもなんとかタクシーを捕まえた。山形まで1時間半程度だったと思う。山形は比較的落ち着いていて、コンビニや飲食店もやっていた。ただ、スーパーやガソリンスタンドはやはり長蛇の列だった。バスターミナルに行ったが、こちらも長蛇の列だったので、とりあえず蕎麦屋でご飯を食べた。

バスターミナルもどると、すでに列がなくなっていた。事情を聞くと、16日以降まで予約で埋まったとのこと。諦めて、新潟までタクシーで行くことにした。ここではすんなり捕まった。

4時間後、新潟についた。上越新幹線は空いていた。

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<まとめ〜必要性を感じた危機管理>

自前のノートパソコンと、充電用USBケーブルを常時携帯するのがいい。充電用USBケーブルは100円ショップで売っている。ちなみに、softbankとfomaの充電端子は一緒だ。

パケット通信は比較的つながる。携帯メールは、サーバの状態を考えると不安なので、twitter,facebook,skypeなどを使うといいかもしれない。

PocketWiFIみたいなものを持っていると、仲間も使える。

自前のパソコンがなくても、そのへんにノートパソコンがあれば、USBケーブルさえあれば充電ができる。事務所に行けばだいたいノートパソコンがある。バッテリーが残っていればUSB経由で電源を拝借できる。一番安心なのは、USBケーブル+電池での電力供給が可能なものを揃えておくといい。エネループかなんかであったはず。

巷で出回っている懐中電灯で多いのはは単1。単1の電池はすぐ売り切れてなくなる。懐中電灯だけではなく、電気で動くものは単3,単4で動くもので揃えておくといい。懐中電灯ではLEDの懐中電灯がいいと思う。

結局のところ、最後の情報源はラジオ。懐中電灯とくっついているものがあるが、別々のほうが使いやすい。手回し充電のものもいいが、疲れる。

キャリアは(私の感想のみでは)ドコモはやはり優秀。つながる。また、携帯は、ガラケーだとどこでも充電できる。タクシーでも充電できる。このように、電源のことを考えると、スマートホンよりガラケー。

緊急地震速報は結構使える。

出張者など、被災地よりタクシーで脱出される場合は現金を用意すること。クレジットカードは多分使えない。

ウォーターサーバーを契約していれば、自動的に水が家に貯蓄されることになる。おすすめ。

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被災された方やこれから被災地に行かれる方、将来同じ経験にあう方、どなたかに役に立つことを祈ります。